おはようございます。
昨日の記事では、これからの意気込み的なことを書きました。
今日は、心理学を学んだ上でどうなりたいか、どんなことに気をつけていきたいかを書こうと思います。
まずは、通信制大学、大学院で学んだ後、公認心理師、臨床心理士の資格を取るつもりです。
晴れて資格を取得した後は、
・心療内科のカウンセラー
・企業の健康管理室のカウンセラー
・スクールカウンセラー
とかを最初にやりたいと思っています。
やはり、社会人になってから病んだ経験、
高校生から大学生の頃人生に悩みすぎた経験を活かしたいです。
(いじめとかに遭った経験は全く無いので、そういうのは対応できる気がしないですが・・・)
そうでないと、病み損、悩み損ですから。
だって、ムカつくじゃないですか。笑
10代の後半から20代の前半までひたすら悩み続けて、
20代の後半から30代の前半までひたすら病んでましたからね。
はっきり言って、金銭的にも健康的にも幸福度的にも、大損こいてます。
それらを逆手に取って成果を上げて、
「あれがあったから今がある」
と無理矢理にでも思える未来が来ないなら、
まあ正直やっとれんわ、というところですね。
実際、病んだ経験や悩んだ経験があることで、
多少なりとも他人を理解して寄り添える部分があると思いますし。
ただ、自分自身が病んだ経験があるからこそ、
悩んだ経験があるからこそ陥りがちな罠があるとも思っています。
それは、この本を読んだ時に気付かされました。
作者の山崎さんは、子どもの頃にいじめに遭ったことを契機にこのように考えました。
めちゃくちゃ有能ですよね。
そして、その後も学びを続けて、
いじめに遭った子どもが法律という武器を理解して使えるよう(もちろん、それだけじゃありませんが)、
こども六法という本を出版し、ベストセラーになりました。
上で紹介した本は、「こども六法」をいかに使うかという本なのですが、
その中で山崎さんはこう語っています。
山崎さんはいじめを乗り越えた後、知らず知らずのうちに人を追い詰めてしまって、
「それはいじめじゃないか?」と指摘されたことがあるようで・・・
本当にその通りだと思いました。
僕は先述の通りいじめに遭ったことはないのですが、
「いじめ」を「鬱」に置き換えて考えると、
自分も同じようなことをやらかしてしまう危険性があることを否定できません。
例えば、進学校の勉強についていけずに不登校になった高校生に対して、
「俺、旧帝大出たけど病んで、30過ぎてニートになっちゃったからな。
それに比べたら全然マシだから大丈夫だって。
学歴だって、あっても役に立たんかったよ。」
みたいなことを、言うことこそないでしょうが、
心の何処かで思ってしまうことは十分に起こり得ます。
そして、思ってしまったことは、言わなくても相手に伝わってしまうかもしれません。
そうしたら、カウンセリングなんか成り立ちませんからね。
ホント、こういうところは気をつけないといけないと痛感しました。
結論として、
自分の経験を活かして働きたい。
しかし、その経験を誇示したり、その経験のせいで視野が狭くならないよう細心の注意を払う。
そういう心理師になれればと思いますね。
そして最終的には、現場経験を積んでメンタルヘルスのことを本当に理解した研究者になって、
本を出したりしたいです。
これは究極の夢であって、実現可能性は低いですけど。
だって、こういう本、表紙見るだけで腹立ちません?
いやいや、
本が出せるほどの売れっ子精神科医という
「勝ち組」
が、
「上」
から説教しとるやんけ!
と。
中身読んでないのに言うのはよくないですけど、
(ひょっとしたらめちゃめちゃいいこと書いてあるかもしれないので。大体想像つくけど)
ちょっとね、弱者に寄り添う気持ちがなさすぎるんじゃないかと思うんですよね。
上から目線がね、隠しきれてないんですよ。
少なくとも表紙を見る限りでは。
だったら、俺が悩める人に寄り添えるような本を書くしかねえだろと、
謎の使命感に燃えています。
昨日の記事では、これからの意気込み的なことを書きました。
今日は、心理学を学んだ上でどうなりたいか、どんなことに気をつけていきたいかを書こうと思います。
まずは、通信制大学、大学院で学んだ後、公認心理師、臨床心理士の資格を取るつもりです。
晴れて資格を取得した後は、
・心療内科のカウンセラー
・企業の健康管理室のカウンセラー
・スクールカウンセラー
とかを最初にやりたいと思っています。
やはり、社会人になってから病んだ経験、
高校生から大学生の頃人生に悩みすぎた経験を活かしたいです。
(いじめとかに遭った経験は全く無いので、そういうのは対応できる気がしないですが・・・)
そうでないと、病み損、悩み損ですから。
だって、ムカつくじゃないですか。笑
10代の後半から20代の前半までひたすら悩み続けて、
20代の後半から30代の前半までひたすら病んでましたからね。
はっきり言って、金銭的にも健康的にも幸福度的にも、大損こいてます。
それらを逆手に取って成果を上げて、
「あれがあったから今がある」
と無理矢理にでも思える未来が来ないなら、
まあ正直やっとれんわ、というところですね。
実際、病んだ経験や悩んだ経験があることで、
多少なりとも他人を理解して寄り添える部分があると思いますし。
ただ、自分自身が病んだ経験があるからこそ、
悩んだ経験があるからこそ陥りがちな罠があるとも思っています。
それは、この本を読んだ時に気付かされました。
作者の山崎さんは、子どもの頃にいじめに遭ったことを契機にこのように考えました。
「法的な根拠を提示して助けを求めれば、大人は動かざるをえなくなる。
おおごとにしたくない、と保身を考えるなら、なおさらだ。」
これが、私が中学生にして法律を学ぶようになった動機でした。
めちゃくちゃ有能ですよね。
そして、その後も学びを続けて、
いじめに遭った子どもが法律という武器を理解して使えるよう(もちろん、それだけじゃありませんが)、
こども六法という本を出版し、ベストセラーになりました。
上で紹介した本は、「こども六法」をいかに使うかという本なのですが、
その中で山崎さんはこう語っています。
山崎さんはいじめを乗り越えた後、知らず知らずのうちに人を追い詰めてしまって、
「それはいじめじゃないか?」と指摘されたことがあるようで・・・
いじめ経験被害者が自分以外のいじめ被害について話を聞くとき、
多くの場合は自分の経験と重ねて想像することになります。
ツライ思い出を蘇らせながらいじめ被害を想像するのは苦しいことですが、
時にその苦しさを紛らわすために
「私の方がひどい目に遭っていた。その程度はたいしたいじめじゃない」
という思考に陥ることがあるのです。
すると、その思考がなぜか被害者をさらに追い詰めるような言動に発展したり、
自分自身の加害行為を知らず知らずのうちに正当化してしまったりします。
(中略)
とくに気をつけているのは、「いじめを乗り越えたこと」を自慢するような態度をとらないこと、
自分を「生還者(サバイバー)」として誇示しないことです。
本当にその通りだと思いました。
僕は先述の通りいじめに遭ったことはないのですが、
「いじめ」を「鬱」に置き換えて考えると、
自分も同じようなことをやらかしてしまう危険性があることを否定できません。
例えば、進学校の勉強についていけずに不登校になった高校生に対して、
「俺、旧帝大出たけど病んで、30過ぎてニートになっちゃったからな。
それに比べたら全然マシだから大丈夫だって。
学歴だって、あっても役に立たんかったよ。」
みたいなことを、言うことこそないでしょうが、
心の何処かで思ってしまうことは十分に起こり得ます。
そして、思ってしまったことは、言わなくても相手に伝わってしまうかもしれません。
そうしたら、カウンセリングなんか成り立ちませんからね。
ホント、こういうところは気をつけないといけないと痛感しました。
結論として、
自分の経験を活かして働きたい。
しかし、その経験を誇示したり、その経験のせいで視野が狭くならないよう細心の注意を払う。
そういう心理師になれればと思いますね。
そして最終的には、現場経験を積んでメンタルヘルスのことを本当に理解した研究者になって、
本を出したりしたいです。
これは究極の夢であって、実現可能性は低いですけど。
だって、こういう本、表紙見るだけで腹立ちません?
いやいや、
本が出せるほどの売れっ子精神科医という
「勝ち組」
が、
「上」
から説教しとるやんけ!
と。
中身読んでないのに言うのはよくないですけど、
(ひょっとしたらめちゃめちゃいいこと書いてあるかもしれないので。大体想像つくけど)
ちょっとね、弱者に寄り添う気持ちがなさすぎるんじゃないかと思うんですよね。
上から目線がね、隠しきれてないんですよ。
少なくとも表紙を見る限りでは。
だったら、俺が悩める人に寄り添えるような本を書くしかねえだろと、
謎の使命感に燃えています。
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