子どもの頃から、勉強が得意でした。

そのお陰もあって、親や親戚、教師からはチヤホヤされることが多かったです。

ですから、無意識のうちに、

「俺はチヤホヤされるべき人間なのだ」

と思っていたのかもしれません。

ところが、物心ついたときから、

小学校、中学校、高校、大学、社会人、ニート・・・、

それぞれのライフステージにおいて、

自分が期待するほどチヤホヤされたことはありませんでした。
(そりゃ、ニートのときは無理だろ)

いつも僕よりチヤホヤされる人気者が、別に存在していたのです。

また、小6の頃から思春期が始まり、

それ以降何度か人を好きになることがありました。

大半の人とめちゃくちゃ仲良くなれたと思います。

しかし、彼女らの殆どは一切僕のことを恋愛対象として見てくれませんでした。

最初に彼女ができたのは21歳の時。

その人にも、2ヶ月くらいでフラれました。
(当時の僕の恋愛偏差値が低すぎたせいで、彼女には申し訳なかったと思っています)

そんな経験を繰り返すうち、僕はこのような悩みを抱えるようになりました。


「俺は、人に愛されない人間なのだ。」


と。

幸いにも、僕が自覚している限りですが、嫌われることはあまりありません。

いじめられたこともないです。

「好きか嫌いかで言えば、好き」
「どちらかと言えば好き」


という人は、むしろ人より多いかもしれません。知らんけど。

ですから贅沢病だとは分かっていながら、この悩みは今でも僕を苦しめています。

実際、それを裏付けるエピソードは山のようにありますよ。

具体例をあげましょう。

例えばですね。

僕は2017年鬱病になり、断続的に回復したり鬱になったりを繰り返していました。

2019年の冬頃には、人前に出るのが困難になり、

SNSの通知が来るのが怖くなっていました。

しかし、返信しないのは感じが悪いと思い、

徹底的に未読スルーをした上でSNSのアカウントを全消去したのです。

(ほとんどの人は気づいてすらいないと思いますけど(笑)、
万が一心配してくれた人がいたとしたらホンマすんません)

それでも2021年の春頃には鬱病から回復しまして、

消去していたSNSのアカウントを段階的に復活させました。

しばらくは大多数の友人と比較して、

低下しすぎていた社会的地位からくる劣等感に耐えられず、

人と会わないようにしていましたね。

しかし、

「人間関係は幸福のために最も重要」
「孤独な男性の寿命は短い」


的な言説を立て続けに目にしたこと。

また、社会的に落ちこぼれすぎたがゆえ、

徐々に同じモノサシで人と比較するのが困難になって逆に吹っ切れたこと。

この2つがキッカケとなり、

「会ってくれる人がいるんなら会いたいな」

と思うようになったので、積極的に人と会うようにしました。

2021年から現在まで、20人前後は僕から飲みに誘ったりしたでしょうか。

ありがたいことに、9割くらいの人は応じてくれたように思います。

ところが・・・、


その中で、後日僕のことを逆に飲みに誘ってくれる人はあまりいなかったのです。


そのため、ついついこう思っちゃうんですよ。

彼女ら、彼らは僕のことをこう思っているんじゃないか、と。

「誘われたら断るほど嫌いじゃないけど、わざわざ自分から誘うほど好きではない。」

そりゃ、何人かはいましたよ。逆に誘ってくれた人も。

今、改めて全部思い出してみたところ、

8人9人くらいでしょうか。

どう思います?

僕はこうやって書いてて思ったんですけど、




あれ?結構多くね?




と思いました。笑

先述の通り、僕は、

2017年頃からほぼ音信不通で、

2019年には消息を断っています。
(予測変換で、「勃っています」となってました。危ない危ない。)

にも関わらず、

誘ったら9割くらいが応じてくれて、

そのうちの半分近くが逆に後日誘ってくれている・・・

客観的に見れば少なくとも、

「俺は誰からも愛されないんだ。」

などと言う資格は一切ありませんよね。


浮気を問い詰められた時のメンヘラ女かよ


という話であります。

ぶっちゃけ、昨日まで2、3人くらいだと思い込んでいました。

大変反省しております、申し訳ありません。


さて。

では、僕はなぜこのような非合理的な思い込みをしてしまったのでしょうか。

それは、


確証バイアス


と呼ばれる認知バイアスが関係しています。

引用しましょう。
確証バイアスとは、認知心理学や社会心理学で取り上げられるバイアスの一つ。

自分の思い込みや願望を強化する情報ばかりに目が行き、

そうではない情報は軽視してしまう傾向のことを指す。

政治、経済、ビジネス、SNS、日々の実生活等のさまざまな場面で散見される。 

出典:グロービス経営大学院
つまり、

僕は子どもの頃のいくつかの経験から、

「俺は、人に愛されない人間なのだ。」

と思い込んでしまい、

その後の人生でそれを強化する情報ばかりを集めてきたのです。

実は、そうでない情報もたくさんあったかもしれないのに。

そのくせ、屁理屈をこねるのは大の得意ですから、

この思い込みを論理的に主張すると、ほとんど誰も反論できません。

「そんなことないよ!」

と言われると論破してしまいます。笑
(それが分かっているから、最近では悩みを人に相談しないようにしています)

実はこれ、高学歴(笑)の人が陥りがちな罠なんですね。

論理的思考に長けたはずの高学歴の若者が、

カルト宗教にハマってしまうことがある要因はここにあると思います。

要は、誤った前提を一度信じてしまうと、

それを自ら論理展開して自己洗脳しちゃうんですよ。

だから、高学歴の人がカルト宗教にハマる確率って、

そうでない人に比べると低いとは思うのですが、

ハマったときはタチが悪いでしょうね。

(ちなみに、「高学歴ほどカルト宗教にハマりやすい!なぜなら、教師や親などに従順だからだ!」などと主張する人がたまにいますが、アホかとしか言いようがありません。機会があれば詳しい話はそのうちします。)

このように、一番初めの前提、いわば公理が間違っていると、
(※公理や定理の違いとかはよく分かってません。なんとなくでお願いします)

その後どれだけ論理的に正しく思考しても誤った結論が出てしまうというのは、

演繹法の大きな欠点です。

哲学などではよく指摘されていることですね。

しかも、その公理は、いくつかの経験から導き出されることが多い。

僕の場合も、

「数人の好きな人から恋愛対象として見られなかった」
「どのライフステージでも自分以外の人気者がいた」


という経験から、先述の公理を思い込んでしまいました。

これは、まさに帰納法的な考え方であり、

これはこれで問題があります。

だって、3人連続で恋愛対象として見られなくても、

4人目5人目は恋愛対象として見てくれるかもしれないじゃないですか。

それなのに、3人目あたりで誤った公理を作り出し、

その後は演繹法でそれを補強し続ける・・・。

演繹法帰納法の悪いところだけをミックスした、最悪の思考法です。笑

一見頭が良さそうに見えて、めちゃくちゃ頭が悪いですよね。

哲学者数学者ってモテなさそうなイメージありますけど、
(※偏見です)

恋愛においてこのような思考法をしてるせいじゃないかな、とさえ思います。

とまあ、


こんな小難しいことをドヤ顔で語っていたら本当に嫌われそうなので、これくらいにしておきますわ。


でも、アレですね。

「俺は○○だからダメなんだ!」

と悩んでいる人に、

「ふーん、そう思ったキッカケ教えてや。」

と聞き、

客観的に見て最初の出発点が論理的に間違っている場合、

そこを徹底的に理詰めで指摘すれば、

その悩みを解消できるかもしれません。

僕は、そういう思い込みがめちゃくちゃ多いので、

自分自身で思い込みの前提条件を論破してみようかな、と思います。

「俺は○○だ」

という思い込みが多い人は、になりやすいと聞きますしね。

うまくいけば、僕は鬱になりやすい傾向から脱却できるかもしれません。

しかし、自分で自分を徹底的に論破するなんてことをやってたら、


別の精神的な病気になりそうな気もしますけど。

情報を正しく選択するための認知バイアス事典
情報文化研究所
フォレスト出版
2021-04-10