最近、ちはやふるという漫画を読み返しているのですが、

このマンガは本当に努力と才能について考えさせられますね。

特に10巻にあった、

千早、太一(まつげくん)のカルタの師匠である原田先生の次の言葉が刺さりましたね。

めちゃくちゃ努力しているのに、勝負運がなくて勝ちきれない太一の試合を見た際に出たものです。
まつげくんは・・・

自分に足りないのは運だなんて思ってない

足りないのは実力だと逃げずに思ってる

「実力がない」という思いを繰り返すと

取り憑かれる

努力を嘲笑う「才能がない」という思いー

いやもうね、本当にそうなんだわ、と。

「努力は必ず報われる」

「結果の出ていない努力は努力とは呼べない」


なんていう言葉があります。

何かしらの努力するために自分自身を奮い立たせるための言葉としては良いですけど、

他人に向けて発する人は大嫌いですね。

「お前は全身全霊をかけた努力に裏切られ、

その後も全く報われなかった経験があるのかよ!」


と言いたくなります。

僕はあります。

高校の時の話です。

僕、めちゃくちゃ勉強したんですよ。

今思えば恵まれた何不自由ない高校生活だったんですが、

当時は何をやっても上手くいかないと思っていて、無性に辛くてつまらなくてね。

ただ、勉強だけは真ん中より上だったので、

ここだけは全力でやって超難関大学に受かってやろう、と。

周りの人たちが学校の授業以外大して勉強なんてしていなかったであろう1年生の秋ごろから、

猛烈に勉強しました。

授業はこなした上で、平日は3時間、土日は7時間くらい平均したらやっていたと思います。

前回の記事で書いた通り、勉強自体は大して苦痛ではなかったですよ。

それでも俺は誰よりも頑張っている、努力しているという想いはありました。

実際に効果は現れ、

3年生の春までは実力テストや模試の成績は学年全体でも上位に食い込み、

”流石に東大京大はキツいかもしれんけど、阪大名大らへんには行くわ感”

を出していたのを覚えています。

300人くらいいる中で15位くらいでしたかね。

ところが・・・、

夏頃に部活を引退した奴らが勉強をガチり始めると状況は一変。

一気に成績が急降下し、最後の模試のときは学力偏差値50を割り込む科目まで出てきて、

センター試験前にやった学年全体の実力テスト順位は250位くらいになっていました。

こうなってしまった理由はいくつかあって、

それについて書き出すと膨大な量になるため省略しますが、

猛烈な後悔と焦燥感と絶望が同時に襲ってきましたね。

「こんなことになるんなら、努力なんてしない方がマシだった。」

毎日そう思って、12月以降は全く勉強に手が付かなくなりました。

結局、受験した大学は全落ちし、浪人が確定。

クラスの中心で、部活も頑張ってて彼女もいるような人、

いつも授業中寝ていて「勉強する気しないわー」と言っていた人が、

華々しく僕が行きたかった大学に合格していきました。

「どうして、俺があんなに頑張っても手に入れられなかったものを、

いとも簡単に手に入れる(ように見える)奴が何人もいるんだ。

結局、一定の才能がない人間が努力しても、

報われる可能性は低いんじゃないか。」


そんな想いが僕の心の中に芽生えた瞬間です。

そのは、すくすくと成長していきます。

まずは浪人時代。

僕は河合塾千種校に通っていたのですが、

そこで出会った2人の人間と接する中で、その想いは強くなります。

1人はYさん。

話したことのある女性の中で、人生史上一番ルックスが好みだった人なのですが(笑)、

異常なくらい勉強ができました。

校内テストの成績上位者でしょっちゅう名前を見ましたし、

センター試験で9割以上取って、

東京工業大学に楽勝で受かっていきました。
(※受験ガチ勢以外には割と知名度が低い大学ですが、

理系学部だと東大京大の次に難しいです。下手したら京大より上説も。)

才色兼備ここに極まれりという感じです。

間違いなく、東工大の姫になったんだろうなと思います。笑

もう1人はHくん。

彼は毎回授業に遅刻してくるし、授業中しょっちゅう寝ている、

完膚なきまでにやる気のなさそうな奴でした。

ところが、秋頃に模試を見せてもらうと、

英語以外の科目は全て僕より成績が上だったのです。

「あれ?実は結構勉強してる感じ?」

と聞いたところ、

「してねえなー。授業始まってから問題解いてるくらいかなー。」

と言っていました。

毎日起きている時間の殆どを勉強に充てていた僕には衝撃でした。

受験直前も、

「やべー、キングダムハーツしかやってねえわ。

2月に入ってから合計5時間くらいしか勉強してねえ。」


などと言っていましたが、結局、

名古屋大学の工学部に楽勝で受かっていきましたね。

こうして、高校、浪人で、

明らかな才能の違い

というものに触れた僕は、

かろうじて大阪大学の工学部に合格したものの、

正直入学する前、凄く嫌な予感がしました。

「大学に入って、もしこんな奴らばっかりだったら・・・俺はついていけない。」

その予感は的中しました。

大学に入学すると、僕が全く理解できない授業内容を殆どの奴らが理解し、

僕が全く解けない問題をいとも簡単に解いていく。

それなりに勉強できるキャラで生きてきた僕は大学に入り、

「勉強できないキャラ」

「単位落とすキャラ」


として定着しました。笑

そのとき、

「才能がなければ努力しても無駄なんじゃないか?」

という、高校時代に撒かれた不安の芽は、


大輪の花を咲かせたのです。


そこからの僕は、

今までと打って変わって、

全く努力のできない人間になりました。


意識高い系の真面目系クズ


に進化を遂げた感じです。笑

自己分析(笑)自己啓発(笑)に傾倒し、

自分の強み、才能、長所を探し続け、

自分探しの終わりなき旅が始まりました。

何かを始めるときは、

「この分野で自分は、望む成果を上げられるだけの才能はあるのか。」

を考えてからしか努力しなくなり、

しかも、ちょっとやってみて素質を感じなければ、

「損切りこそが重要である。」

などと言って、一瞬で次の分野に移っていきます。

色々やりましたね。

とあるマイナースポーツをやってみたり、ビジネスコンテストに参加してみたり、

ボウリングを極めようとしたり、起業家サークルに参加してみたり、

理系なのに就職活動をガチってみたり、学生お笑い大会に出てみたり、

ブログを書いてみたり、


その結果思ったことは、


「自他ともに認めるほどの成果を残せるほどには、

特に向いているものはない」



でしたwww

向いていることを探すのは決して悪いことではありません。

しかし、当時の僕が得たのは、

今すぐ稼げるほどの才能がないという悲しい事実だけ。

「だったら、まずはステータスが欲しい。

大企業社員のステータスが欲しい。

でも、俺に向いている場所は必ずある。

大企業に入ってから、またそれは探せばいい。」


そんな甘っちょろいことを考えて大企業に入った結果は・・・


何度も書いている通り、悲惨なものでございました。


長々と自分語りをしてしまいましたが、

僕が言いたいことは、


全身全霊をかけた努力は時に裏切られる。

そしてそれは、その経験がない人には想像を絶するほど辛い


ということです。

努力するのが心から怖くなります。

この記事を読んでも、

「そこまで落ち込むことないじゃん」

と思った人が大半でしょう。

それはその通りだと思います。

でも、30人読んだら1人くらいは共感してくれねえかな。笑

そして、そのようにして努力恐怖症になり、

自分探しという大義名分の下、

真剣に努力することから10年以上逃げ回ってきた僕ですが、

今年に入ってから改心しました。

報われるかどうかは分からなくても、

分野によっては努力できるようになったかな、と。

そこに至るまでの経緯は、またどこかで。

ちはやふる-上の句-
國村 隼
2017-09-27